京都は、平安京遷都から明治維新に至るまで実に千年以上の長い期間にわたり日本の首都として機能してきた古都です。現在は国の中枢機能はほぼ全て東京に移転していますが、太平洋戦争中に空襲で大きな受けなかったので首都であった時代に使用されていた重要施設の多くが残されています。京都市内中心部で江戸時代に徳川幕府に用いられていた城が、中京区二条通堀川にある「元離宮二条城」です。ここでは、二条城の概要と見どころをご紹介します。

二条城は堀川通りと二条通りの交差点に位置しており、高い城壁とお堀で囲まれています。江戸時代の1603年に徳川氏によって建てられ、260年間にわたる徳川政権下において首都に設置された幕府の出先機関として重要な役割を果たし続けてきました。
多くの方は「お城」と聞くと、何層にも屋根が積み重ねられて最上階に天守閣のある建物を想像するかもしれません。地方に多くみられるお城の天守閣は、戦争を考慮して作られた施設です。これに対して、都の中心部に建てられた二条城は戦争ではなくて政治を行うための施設です。そのため、メインである「二の丸御殿」は平屋”構造の建物となっています。
「二の丸御殿」や庭園は一般向けに公開されているので観覧が可能で、受付時間内であれば入口で入城料金を支払えば誰でも内部の見学ができます。ちなみに一般の入城料は620円(二の丸御殿観覧料込みだと1,030円)ですが、京都市営地下鉄一日券または地下鉄・バス一日(二日)券を提示すれば100円引きとなります。
「二の丸御殿」の一番の見どころは、幕末の大政奉還の際に徳川将軍が40藩の重臣を一同に集めて意見を聞いた際に使われた大広間です。幕末の1867年(慶応3年)10月14日に15代将軍の徳川慶喜が朝廷に対して政権返上(大政奉還)を申し出ましたが、前日の10月13日に大広間で意見交換が行われました。この大広間は廊下から見ることができ、徳川慶喜や重臣の人形が置かれています。
「二の丸御殿」のもう一つの見どころは、板の上を歩くと「キュルキュル」という音を鳴らす鴬張り(うぐいすばり)の廊下です。人が歩くと音が出るようにすることで、重要施設に不審者が侵入してもすぐに発見ができるようになっていました。
二条城には建物以外にも美しい日本庭園が設けられていて、時間に余裕があればゆっくりと散策を楽しむことをおすすめします。城内にある二之丸庭園は有名な小堀遠州作と伝えられており、現在は世界遺産とともに国の特別名勝にも指定されています。